冤罪犠牲者の一人として刑事裁判で裁判官が最高裁や政府から独立して判断し、無罪推定の原則を貫く様求めている私が、大阪高裁・飯島健太郎判事の訴追を執拗に求めるのは、飯島判事が日本の刑事裁判史上で初めて、近代刑事裁判の根本的原則である「事実の認定は、証拠による(刑訴法第317条)」を否定したからだ。
法律専門家はこの原則があまりに当然過ぎて、飯島判事がそれを否定したことに気がつかないようだ。
刑事裁判は、検察、被告人・弁護人がそれぞれ有罪、無罪を示す証拠を提出し、相手の証拠の欠陥を攻撃して進められる。その立証活動の前提にあるのは有罪の証拠は無罪の証拠にならないし、無罪の証拠は有罪の証拠ではないということであり、人の発言や行動は嘘をつかねばならない様な特別の事情がない限りその人の意思を示すということだ。
滋賀医大生事件で検察側は相当程度詳細かつ具体的に何が行われたか立証した。弁護側もそれを否定できなかった。ところが飯島裁判官は突然、女性の性交拒否の発言や性交時の抵抗は女性の拒否の意思を示さない、逆に〝「性交時によくある」合意〟の証拠だとしてしまった。検察官が有罪を示すものとして立証してきた証拠を飯島裁判官は恣意的に無罪の証拠としたのだ。
飯島判事の裁判では、検察も弁護人も自ら提出した証拠が有罪の証拠となるか、無罪の証拠になるか、判決までわからない。それでは立証活動や証拠による事実認定は不可能だ。
有罪の証拠を無罪の証拠にできるなら、弁護側の無罪を示す証拠も同様に有罪の証拠にできる。
例えば被告人が事件発生時のアリバイの証拠を提出する。検察は当然アリバイ崩しをする。ただ〝アリバイが成立すれば無罪〟という点は被告側だけでなく検察も裁判所も認めるだろう。しかし飯島裁判長だけは違う。〝アリバイの存在は、犯人のアリバイ工作の時によくみられることであり、有罪の証拠〟とでも言って有罪判決を書くだろう。
訴追を求めるのは無罪判決が誤っているからだからではない。飯島裁判官の下では近代刑事裁判が、立証活動が不可能だからだ。
【参考資料】
滋賀医大生・性暴力事件、大阪高裁はなぜ「無罪」と判断? 【判決詳報】
https://www.bengo4.com/c_1009/n_18282/